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11月, 2022の投稿を表示しています

【Geylang】欲を満たす街、ゲイラン①

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  私が暮らしている街はゲイラン地区といい、日本人の駐在者が暮らしているエリアとしては少し珍しいローカル感漂う街です。 シンガポール人の友達から聞いた話によると、ゲイランは「人間の欲を満たす街」と言われているそうです。 そんなゲイランについてまだまだ浅い知識ではありますが何回かに分けて記事にしたいと思います。 ======================== 1.ゲイランとは 2.ゲイランの有名スポット 3.日本人に人気の場所 4.まとめ ======================== 1.ゲイランとは *「ゲイラン」名前の由来 「ゲイラン」という名前はマレー語で工場を意味する「Kilang」に由来すると考えられていて、 この地域は1800年代はココナッツの搾油所、加工工場があったようです。 1900年代初頭には「セライ」と呼ばれるレモングラスのビジネスが増加し、 「ゲイランセライ」と呼ばれるようになり、マレー人のコミュニティの中心地になっていきました。 *立地 ゲイラン地区は緑のMRT / Kalang stn.~Aljunid stn.~Paya Laber stn.の南部を東西に繋ぐ ゲイランロードという3kmほどの大通りを中心に街が栄えています。 大通り沿いのショップハウスは開発から保護されていて、たくさんの美味しい飲食店が軒を連ねています。 *Lor(ロロン)とは ゲイランロードにクロスしている道は東から順にLorXXというように1~41まで南北に道が伸びています。 この「Lor」とはマレー語で「Lorong」の略で「道」を意味します。 *ゲイランで暮らす人 日本人は現地採用の方を中心にコンドミニアムで暮らしているようですが、滅多に会うことはありません。 基本的にHDB群には中華系の割合が多く、ゲイランロード近辺の古い低層の家にはインド系の単身労働者が多く暮らしている印象です。 2.ゲイランの有名スポット 人の欲を満たす街というのはまさにローカルに人気の安くて美味しいグルメスポットがたくさんあるからだと理解しています。 そんなゲイランの中心街の有名スポットを4つ紹介します。 ①ゲイランロード 古いショップハウスが並び、とても味のある大通りです。「東南アジア感がある」と言ったらいいのでしょうか・・・。シンガポールも東南アジアなのですがね。

【Grave】シンガポール人のお墓事情

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先日、日本人墓地についてブログを更新しましたが、今回はシンガポール人の墓地についてです。 シンガポール人の友人と何気なく婚姻にまつわる話をしていました。 日本では結婚する際にどちらかの姓(主に男性側)を名乗ることになるんだよ〜 と伝え、お墓も家ごとにあるため筆者は筆者夫のご先祖様の墓石で眠ることになるなどと 話をしてみたところ、 シンガポールならではのお墓事情を教えてもらいました。 後日ハウパーヴィラの展示にも同じ内容の記載があったため、 友人の話が具体的にイメージできるようになったため、記事にしてみました。 ============================= 1.シンガポール人の宗教 2.世界の火葬の歴史 3.シンガポールのお墓はまるでHDB! 4.筆者の感想 ============================= 1.シンガポール人の宗教 シンガポール人の宗教分布は以下の通りです。  仏教:33.2%  道教:11%  キリスト教:18.7%  イスラム教:14%  ヒンドゥー教:5%  シク教:0.6%  その他・無宗教:17.5% 中華系が多いため仏教・道教が多く、続いて人口比率の高いマレー系はイスラム教、そしてインド系はヒンドゥー教・シク教を信仰していることに違和感はありません。 残るキリスト教についても、イギリス植民地時代と関係がありそうで自然な流れかと思います。 シンガポールにはたくさんの宗教を信仰する人がいて、宗教施設も様々です。 (そのうち宗教施設に行った記録もしようと思います。) 後述の「世界の火葬の歴史」でも触れますが、6つの宗教の死生観は大きく二つに分類できます。 ・ヒンドゥー教、仏教、道教、シク教(発生順) ⇨魂が天国や地獄を経て新たにこの世に生を持つ。(=輪廻転生) ・ゾロアスター教、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教(発生順) ⇨魂は一つの命に宿り、死後は天国か地獄かで終了する。 (※筆者の解釈が雑なためキリスト教の「復活」の概念は輪廻転生とはまた違うという理解で進めます) 前者はアジアを起源とした宗教、後者は中東を起源とした宗教。 ハウパーヴィラの展示の受け売りですが、宗教を分類すると違いが明確になり、学びを深めると面白いなと改めて感じました。 2.世界の火葬の歴史 世界で初めの火葬と考えられているのが4万2千年前のオースト

【日本人墓地】日本人が知るべき「からゆきさん」の歴史

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8月、日本人として一度行っておきたいと思っていた場所、「日本人墓地」へ行ってきました。 渡星前は知ることもなかった、「シンガポールにある日本人墓地」、そして「からゆきさん」について、シンガポールに来てから知ったことを書き起こしたいと思います。 ↓日本人墓地内の通路  ピンクの花が満開になる時期は国籍を問わずインスタスポットとして来訪者がいます。 ================================= 1.シンガポールにおける日本人史 2.日本人墓地の詳細 3.からゆきさんとは 4.まとめ ================================= 1.シンガポールにおける日本人史 初めて日本人が定住したのは1862年のことでした。船が嵐に遭って漂流してしまった山本音吉さんが鎖国中の日本に帰国できなかったことが原因でした。 その後、江戸時代から明治時代(1868年)へと変わり、鎖国が解けた後、日本の貧しい家庭から「買われた」娼婦たちが暮らすようになり、 その娼婦向けに日本人が営む商店ができ、日本人社会が形成され始めたようです。(今のブギスあたり) 日本人墓地ができた1891年には、三井物産が支店を開設し、日系企業の先駆けになったようです。 1912年には日本人小学校、1915年には日本人会が発足しました。 現在のブギス(Middle Rd沿い)には日本人街があり、病院、新聞社、書店、映画館、料理屋等が軒を連ねていたようですが、 1937年(日中戦争勃発の年)以降、国際情勢の緊張感が高まったことから帰国する人が増えていったようです。(それでも3,000人近く住んでいたとか) ↓日本人墓地にあったシンガポールにおける日本人史 第二次世界大戦までブギスに存在した旧日本人街についてイメージが湧きやすい動画を見つけたので興味のある方は下記のURLよりご覧ください! https://www.future-stage.com/middleroad 2.日本人墓地の詳細 国土の狭いシンガポールでは政府主導の開発計画からあまり墓地がありません。そんな中でも日本人墓地が一ヶ所だけあります。 筆者が行ってみて見たもの、知ったことを書き記します。 立地:シンガポール北東部(付近に駐車場なし・バス+徒歩を利用) https://goo.gl/maps/2o2XLCx6Qy

【パッションフルーツ】南国の定番!食べ頃や食べ方について!

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トロピカルフルーツとして存在は知っていたものの、形を目にするのは渡星後が初めてだったパッションフルーツ。 初めて認知した時は、サイズ感の割に軽量というギャップに驚きました。 そして、筆者夫婦が両家の母の日に楽天で送るくらい気に入っているフルーツの一つです。 インスタグラムでも、「このフルーツなんだろう!?」という投稿を目にしたこともあるため記事にして見ました。 ↓左上:パッションフルーツ、右上:プラム、  右下:カラマンシー(すだちのような柑橘)、左下:アボカド ============================ 1.パッションフルーツとは 2.色の違い 3.食べ頃・食べ方・味  4.日本でも栽培されている! 5.まとめ ============================ 1.パッションフルーツとは ブラジルが原産の甘酸っぱい丸い果実です。 朝顔のようにツルの植物で、茎・ツル・葉は有毒のようです。 色は2種類でピンク(紫)のものと、黄色のものがあり、 旬がなく、1年中食べられることが特徴です! 可食部は主に種とその周りの実で、1つのパッションフルーツに最大250個の種が入っています。 本当かどうか未確認ですが、ブラジルではパッションフルーツジュースは消化促進や、胃の不調の改善として飲まれているようです。 2.色の違い  マーケットでピンク色(紫色)のパッションフルーツをよく目にしますが、まれに黄色いパッションフルーツもあります。 筆者の体験では黄色いパッションフルーツの方が値段が高く、甘みが強い印象です。 また、シンガポールで一般的に食べられているピンクのパッションフルーツも色味によって甘味や酸味のバランスが分かるので、購入時の参考にして見てください。 ↓近所でよく購入するパッションフルーツ。  袋詰めになっているため選り好みはできませんが、店主に見分け方を尋ねたところ  赤みが強い方が甘く、青みが強い方が酸っぱいと教えてくれました。 3.食べ頃・食べ方・味  *食べ頃について パッションフルーツは購入後に「追熟」するよより甘味が増します。 購入後、常温で放置しているとだんだん皮がシワシワになってきます。 ↓左2つ:追熟した食べ頃のもの。右2つ:購入したてのもの。 *食べ方について パッションフルーツは種を掬うようにして食べるため 皮を洗って、包丁で真ん

【コピとチャイ】植民地から誕生した二つの飲み物のはなし

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タイのタイティー然り、シンガポールのコピ然り、 東南アジアは冷たくて甘い飲み物が好きだなあ、という印象を持っている筆者です。 辛い食べ物を食べる文化があるため口の中をマイルドにするため必然だとも思っていました。 ところが先日、シンガポール人の友人と話をしている際に 「コピはなぜあんなにも甘く仕上がっているのか?」と疑問をぶつけたところ 歴史背景があることを知り驚きました。 以前、東京の井の頭公園の一角にある「チャイブレイク」という紅茶のお店で一息ついていた際に お店の方から教えてもらったチャイの歴史とも通じるものがあったため コピとチャイをまとめて記事にしました。 ================================ 1.Kopiとは 2.Kopiが生まれた歴史背景 3.チャイとは 4.チャイが生まれた歴史背景 5.(余談)茶とTeaの語源は同じ!? 6.筆者の感想 ================================ 1.Kopiとは コピとは、マレー語でCoffeeを意味します。 が、日本人がイメージするコーヒーとは違い、シンガポール、マレーシアで歴史と共に完成した甘いコーヒーのことを指します。 一般的なコーヒーとは焙煎方法が違い、 焙煎時にコーヒー豆にバター(あるいはマーガリン)と砂糖をコーティングして焙煎していて コピティアム(コーヒーショップ)でコピを注文するとさらに練乳を加えたり、砂糖を加えたりして提供されるためとにかく甘いです。(筆者は好きですが、人によって好みは分かれます・・・) ↓シンガポールに古くからあるコピのお店「Heap Seng Leong」      ↓マラッカに古くからあるコピのお店「Lung Ann Refreshments」   2.Kopiが生まれた背景 19世紀(1800年代)に西洋の入植者が愛飲していたコーヒーを入手して提供すべく土着の人々が購入を試みるも西洋人が使っていたコーヒー豆(Arabica bean)は高価で入手できず、 (あるいは西洋に輸出されてしまうため市場に出回る豆の量が少なかったため?) 現地のシンガポール人は安価なインドネシア産のコーヒー豆(Robusta bean)しか調達できなかったことが始まりです。 Robusta豆の特徴は、Arabica豆よりも苦く、酸味が少ないことにあるよ