【日本人墓地】日本人が知るべき「からゆきさん」の歴史

8月、日本人として一度行っておきたいと思っていた場所、「日本人墓地」へ行ってきました。

渡星前は知ることもなかった、「シンガポールにある日本人墓地」、そして「からゆきさん」について、シンガポールに来てから知ったことを書き起こしたいと思います。


↓日本人墓地内の通路

 ピンクの花が満開になる時期は国籍を問わずインスタスポットとして来訪者がいます。


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1.シンガポールにおける日本人史

2.日本人墓地の詳細

3.からゆきさんとは

4.まとめ

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1.シンガポールにおける日本人史

初めて日本人が定住したのは1862年のことでした。船が嵐に遭って漂流してしまった山本音吉さんが鎖国中の日本に帰国できなかったことが原因でした。

その後、江戸時代から明治時代(1868年)へと変わり、鎖国が解けた後、日本の貧しい家庭から「買われた」娼婦たちが暮らすようになり、

その娼婦向けに日本人が営む商店ができ、日本人社会が形成され始めたようです。(今のブギスあたり)

日本人墓地ができた1891年には、三井物産が支店を開設し、日系企業の先駆けになったようです。

1912年には日本人小学校、1915年には日本人会が発足しました。

現在のブギス(Middle Rd沿い)には日本人街があり、病院、新聞社、書店、映画館、料理屋等が軒を連ねていたようですが、

1937年(日中戦争勃発の年)以降、国際情勢の緊張感が高まったことから帰国する人が増えていったようです。(それでも3,000人近く住んでいたとか)


↓日本人墓地にあったシンガポールにおける日本人史


第二次世界大戦までブギスに存在した旧日本人街についてイメージが湧きやすい動画を見つけたので興味のある方は下記のURLよりご覧ください!

https://www.future-stage.com/middleroad




2.日本人墓地の詳細

国土の狭いシンガポールでは政府主導の開発計画からあまり墓地がありません。そんな中でも日本人墓地が一ヶ所だけあります。

筆者が行ってみて見たもの、知ったことを書き記します。


立地:シンガポール北東部(付近に駐車場なし・バス+徒歩を利用)

https://goo.gl/maps/2o2XLCx6QykKpUxA8


開放時間:月〜日・祝日7:00〜19:00(Google mapより)

⇨筆者は日曜日の昼前に行きましたが、筆者友人が日曜日に行った際は閉まっていたようで、急遽閉鎖されているようなこともあるようです。


1891年に作られた墓地で、敷地内に特定の宗教・宗派の寺院がないことが特徴です。

戦後、1949年には「敵産処分法」により墓地そのものを接収されたこともありましたが、1953年には日本人総領事館に管理が移管されたようです。

土地が少ないシンガポールで墓地を残すことは難しく、1987年にはシンガポール政府から墓地接収の告知があったものの、外務省が掛け合った結果、土地をリース扱いにして以降50年の存続が許可されたようです。

現在はシンガポールの公園法に基づいて日本人会が整備・管理・運営し、公園として開放しています。

一軒家が多いこの地区で近隣住民の理解を得るためにも(?)緑の多い公園として綺麗に整備されていました。


↓日本人墓地の歴史が記載されていた看板


↓日本人墓地公園全体図


敷地内に入るとシンガポールにいることを忘れてしまいそうなくらい静かなでした。

お堂の写真を撮り忘れましたが、お賽銭箱があり、近づくと窃盗防止のための英語の音声警告があり、日本とは違う物々しい雰囲気でした。(もちろん防犯カメラもあります)

↓お堂の隣のライチの木(跡)。園内は南国を感じるヤシの木と日本的な松等が混在していました。


↓ひのもと地蔵尊

 

第二次世界大戦が終わった1945年8月、シンガポールに定住していた約8,000人の日本人が日本への帰還船を待ちながらジュロンで避難キャンプの生活を送っていたようです。
船を待つ時間が長くなるにつれて、病気が蔓延したり、食糧が不足したり、不安や不満から自殺者が出たりと、死者が出たそうです。
ひのもと地蔵尊は戦後、帰還船を待ちながら帰国できずに命を落とした41名の冥福を祈るために建てられたようです。

↓戦没者の慰霊碑もありました


↓日本人で初めてシンガポールに定住した山本音吉さんについて

お堂の前には山本音吉さんの人生について看板がありました。
江戸時代に愛知県知多郡から江戸に向かって出港したところ、嵐に遭ってアメリカに漂流したそうです。鎖国中の日本へ帰国を試みるも受け入れられず、上海を経てシンガポールで暮らすことになったようです。
2004年にシンガポールの土地管理調査により音吉さんがキリスト教墓地で埋葬(恐らく土葬)されていることが分かり、火葬を経て遺灰は日本人墓地に安置され、遺灰の一部は死後173年の月日を経て日本へ運ばれたようです。
希望して移住したわけではなく、帰国できず日本以外の土地で暮らすしかなかったという状況は家族に会えず絶望的だっただろうなと思います。
そんな中でも、イギリス統治下のシンガポールは既に多民族が共存していたから住みやすい場所だったことも想像できました。

墓地の奥まで行くと、からゆきさんの墓地がありました。からゆきさんの墓地は1名を除いて、名前が伏せられています。





3.からゆきさんとは

1870年代から第二次世界大戦頃まで、長崎・熊本の貧しい家庭の女性が「騙されて」「買い取られて」アジア各国で娼婦として主に植民地宗主国の男性たちを相手に働かされていました。(全てを承知して来た人も中にはいるのかもしれませんが・・・)

そのような女性たちのことを「からゆきさん」と言います。

海外(中国方面=唐)へと行った(ゆき)人を指す名称で、1970年頃から使われるようになったものの、「からゆきさん」の用語自体は第二次世界大戦以前の領事報告や文献の中では使われていないそうです。

明治時代(1868〜)に入り、世界と比べて輸出できる産業を持っていなかった日本が1870年頃から外貨を稼ぐ手段として、東南アジア・オセアニア各国で日本の貧困女性に売春させていたとも言われています。そのお金が日露戦争等の軍資金の一部になったと思うとやるせない気持ちになります。


シンガポールでは1819年にイギリス人が入植してから、家族(妻子)を連れて居住する人もいましたが、インド・中国から移住してきた労働者も大勢いたことから、男女のバランスが取れておらず、1800年代後半には男女比率が14:1だったそうです。

現在のブギス / Middle Road周辺でからゆきさんのいる売春宿が立ち並んだことから戦前までは日本人街が発展していったようです。

イギリス植民地政府は治安維持の観点から売春を認めていたものの、からゆきさんの犠牲に反して、世間のからゆきさんを見る目は冷たかったと語られています。

現在、からゆきさんの音声インタビューが「一人だけ」残されているようで、毎日新聞社のオンライン記事に辛い過去が詳しく書かれていました。読んでいるだけで辛くなります。

https://mainichi.jp/articles/20201228/k00/00m/040/337000c

(上記URLより衝撃的な事実をまとめると・・・)

・渡航期間1ヶ月を船底で過ごす。その間に男性の世話役の性的暴行が横行していた。

・到着後には渡航費による多額の借金を背負わされていたことを知らされ、絶望した。

・1日で多い時は49人の相手をさせられ、痛くて本当に辛かった。

・接客が終わるたびに毎回「洗浄」をさせられた。熱湯をかけられ、消毒液を付けさせられた。(当時、からゆきさんの性病を防ぐことは、「からゆきさんのため」ではなく、「お店の評判」と「客」のためであった)


シンガポールの日本人墓地では、貧困のうちに病気で亡くなったからゆきさんが木標のお墓で弔われていましたが、年月が経ち朽ちていったようです。

日本人会の前身である共済会がからゆきさん本人の名前は伏せ、「精霊菩提」(せいれいぼだい)と書いた墓石を建てたものが今も残っています。(日本の本国にいる家族が差別を受けないようによいう配慮から名前は意図的に残していない)




4.まとめ

筆者自身、大学では政策系の学部で知を深めてきました。(そのつもりです。)高校生の時は世界史が大好きで、ものすごくのめり込んで勉強してきました。

ですが、シンガポールに来て「海外の日本人史」に触れてこなかったことに気がつきました。
また、「からゆきさん」について教育課程で一切耳にすることがなかかったため、からゆきさんの存在や、筆者がシンガポールに来てようやく初めて知ったという事実自体が本当に衝撃的でした。


"History is written by victors"

このようなことわざがありますが、History(社会に大きな影響を与えた出来事)からはみ出されたからゆきさんのStoryはシンガポールに縁があった日本人が知り、伝えていくべきだと感じました。


また、現代においてもからゆきさんについて知ることができる資料の少なさにも驚きました。

日本語の資料をネット上で探っていくと、戦国時代では勝者が敗者の女性を奴隷として持ち帰ることがあったという記載もあり、日本の人権意識の低さのルーツにも納得しました。

からゆきさんは注目の目がいくことを避けて、差別に合わないように生きてきた方々だから、史実が注目されることで報われるかはわかりませんが、社会的に立場の弱い人に皺寄せがいかないように、苦しまなくていいように今後日本が変わっていくことが大切だと思いました。



【参考資料】

(日本人墓地HP)

https://www.jas.org.sg/pages/shisetsu-facility


(からゆきさんについて)

https://mainichi.jp/articles/20201228/k00/00m/040/337000c

https://www.timeout.com/singapore/things-to-do/city-guide-singapore-through-the-eyes-of-the-forgotton-karayuki-sans

https://mainichi.jp/english/articles/20201230/p2a/00m/0na/016000c

https://toyokeizai.net/articles/-/47957?page=2





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